日生学園 残酷物語 9

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日生学園「残酷物語」
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こんな高校生活があるだろうか・・・。閉ざされた山の中の学校は、暴力に次ぐ暴力、脱走に次ぐ脱走というこの世の物とは思えない生活があった。

ダウンタウン浜田雅功が「地獄」と表現した日生学園第二高校を卒業した年に私は入学した。見聞きはしていたものの、待っていたのは想像をはるかに超える、旧式軍隊さながらの生活。「懲役3年」と言われながらも、なんとか生き抜いた日生学園の3年間を振り返る。

教師が教師ではない日生学園

以前、別記事で教師の事に触れたが、日生学園には2種類あって、「下界」から通勤している人と、「寮監」として生徒と一緒に寮に住み込んでいる人がいる。また、学校内に教員住宅があり、家族で住んでいる人もいる。


若い独身者は寮監で、生徒とほぼ同じ生活だから、自由は無いに近い。ただ、大人である以上、車を運転できるし、タバコも吸えれば、酒も飲める。一方、通勤者や教員住宅に住んでいる教師は、当然ながら自由度MAXである。この差はどこから来ているのだろうか?

通勤者は普通の教師として採用されていて、ニュアンス的には「教師」と言うよりは「講師」に近いだから彼らの授業は緊張する事もなく、寝ていても怒らない人さえいる。厳しい生活を知っているから、大目に見て怒らないのか、自分の仕事さえすればいいと思っているのかわからないが、唯一、「普通の学校らしさ」を味わえる時間である事に間違いない。

それが、寮監ともなると話は違う。教員住宅に住んでいる教師も、元々寮監だった人達なので、厳しさはあまり変わらない。授業中、寝てたり遊んでいると「ツボを踏む」事になる。授業は寮生活の延長で、気を抜いたり、やる気がないと、教師はたちまち逆上する。もちろん、その逆も然りで、要は授業であろうと、寮内であろうと生徒達の行動を常に監視している。

それが仕事と言えばそうなのだが、実は寮監達もそれなりに苦労があって、生徒をちゃんと指導出来ないと、教頭など上層部から責められるのだと思う。というのも、朝5時前ぐらいから生徒は道場で心行を行うが、いつも決まった時間ではない。生徒が入る前に寮監は心行をしていて、その後の上層部の話、(説教のようなもの)の程度によって、生徒の心行の時間がずれ込むことがあったりした。それまでの間、我々は外で整列して待機しているのだが、これが冬だとかなりしんどい。真っ暗の中気温はマイナスにでもなろうかという中、ジャージ1枚しか着ていないだから。それはそうだろう。心行をしていると冬でも汗が出るほどだし、やる前に薄着になる事も出来ない。心行はスポーツではないのだから。

教師の中でもカーストのような物があり、生徒みたいに心行をやらされ、説教までされる。それも朝4時過ぎに。生徒がダラダラしていたら、先輩教師に怒られる。そうなると、やる事は生徒を締め上げる事になってくる。日生学園は生徒のピラミッドの上に教師のピラミッドがある2重構造が確率されていて、水の如く、上から下へ何事も流れていく。最下位が1年生なのは言うまでもない・・・。

このピラミッドの頂点にいるのが教頭をはじめとする上層部達なのだが、実態があまり良くわからないまま、私卒業した。組織上、青田強氏が頂点のはずだが、実際は頂点のさらに上のような扱いだった。

上層部と言うと、語弊があるかもしれないが、いつも生徒や教師に指示を出したり、怒ったりしている人を指す。「お前らの心行はこんなものか?」、「お前らの歌い方は全力を出し切っていない!」、といった事から、「やり直せ!」、「やめ!」、「進め!」など、心行や団体行動をしているその時その時を一人で仕切っている。肩書として「教頭」、「副教頭」などあったかもしれないが、そんなふうに生徒の一挙手一投足を見ていて、常にその場の空気をピリつかせている教師が何人かいた。

3つの高校がある日生学園なので、たまに上層部が入れ替わったりする事があり、その度にやり方や方針が急に変更になる。「前はそこまで怒られなかったのに・・・」とか、「あいつはこういう部分を見るから、そこだけ気を付けていれば大丈夫」とか、今までやらなかった事を再開させようとしたり、対応に追われるのだが、こういった上層部の教師達というのは「総じて鬱陶しい」のだ。

「警察と泥棒」のような関係性になるが、どうにかサボろうとする生徒と、細かい動作や顔つきまで見て、難癖をつける教師。最早、何が教育で、誰が教師として正しいかわからない。

そんな上層部は誰もが生徒のうちの十数人程、常に目を付けているのではないか?と思える。大きい問題を起こした事があったり、「権力者」に分類される人達がほとんどだが、名前、顔までしっかり覚えられ、しょっちゅう怒鳴られたりしていた。道場の壇上や、食堂にある演説台のような遠い所からでも、そういった生徒を「見張って」いる。

人間というものは、何か悪い事をしようとしたり、サボろうとする時は態度に出るというか、コソコソするような感じになるのだろう。それを彼らは「鷹」のような眼と、「野生のような感」を働かせて察知し、その「餌食」になった生徒は数知れない。

そんな「ツボを踏んだ」時は、個人攻撃で終わる場合と、連帯責任に発展する場合があり、張本人以外の「その他大勢」は、自分達に火の粉が降りかかるかどうかピリピリする事となる。

上層部の中でも、日常において一番の権力を持っていたのが、ダウンタウンの浜ちゃんの番組でも出てきたW氏である。3回以上はテレビに出演していると思われるが、いつもニコニコな笑顔で登場して来るのだが、我々が在校していた当時はあれほどの笑顔は見た事もない。

W氏は「ボッキチ」というあだ名で、日生学園の者なら知らない人はいない。ある意味、日生学園で一番の権力者で、第一や第三も含め、1年づつ各校を回っていると思われ、私が3年生の時には第二におらず、第一にいると言われていた。その間、第二高校はK氏が権力者となっていたが、K氏はボッキチと違い、すぐに手が出るタイプではなく、ネチネチといたぶるようなタイプだった。

生徒を怒鳴りつけ、殴るボッキチと、ちょっとの緩みに対して、ずっと立たせたままや、正座でしつこい説教を何時間でもするK氏。どっちもどっちだが、共通して言えるのは連帯責任に着地にする事。これが多い時には日に何度もあるので、こちらはたまらない。余計は心行やマラソンが増えて、最後には「俺たちは何をさせられているんや?」という感じになる。

今でも忘れない事があって、それは朝食の時、ボッキチが食堂に入って来る「たった1人の行動」が気に入らなかった。すぐさま呼び止め怒り出したのだが、いつまでたっても治まらない様子だった。我々は既に着席をして物音一つ出さずに待っている。聞こえて来る内容は、食堂前にて隊列を解除して、食堂内に入るのだが、その時に「ありがとうございました」と言う。その生徒のその部分が気に入らなかったようだ。

1000人近い生徒らが入るとてつもなく大きな食堂が静まり返っている中、ボッキチはその生徒に何度も「ありがとうございました」の部分をやり直しさせている。

張本人である彼からしてみれば、自分のせいでみんなを待たせている。何度やり直しても許してくれない。いろんな感情が混じり合っているはずだ。逆の立場であれば、「何してくれてんねん!」、「何ツボ踏んどんねん!」って思うだろう。そして、何度も一人だけ大声張り上げて「ありがとうございました」を言わされている「可哀そう」と思う哀れ感。その一方でボッキチに対して、殺意すら覚え兼ねない気持ちを抑える事。ここまで来ると、破綻しそうな感情を持たす、拷問以外何物でもない。

普通であれば、「食堂員」の代表の「ご飯をよそいましょう」の声で器にご飯をよそい、「黙とう」→「いただきます」の号令で食べられるのだが、ずっと座ったままで、ボッキチの怒りが治まるのを待つ。

しかし、この日はいつまでも治まらず、ついに怒りの矛先が全校生徒に及ぶ。「お前らは何とも思わないのか!!!!」。と言われれば、一大連帯責任の始まりだ。

詳しい内容は忘れたが、ボッキチの説教はとても長く、話はいろんな方向へ向いて、「掃除が出来ていない」という事になったのだと思う。そして、何故か教室に行き、大掃除をやらされた。廊下もトイレも全て掃除した記憶がある。

ようやく食堂に再集合した時は10時ぐらいだったと思う。今度は何事もなく食事になったのだが、保温出来ないジャーの中の麦飯は、冷たく、「ちょっと凍ってる?」とさえ思えるぐらいだった。

育ち盛りの高校生の食事を取り上げて、冷たいままのご飯を食べさす。普段の生活の中でも、1%ぐらいは楽しみにする食事を食べさせなかった恨みを、今でも覚えている。

ここまで酷くなくても、食事前に説教され、食べ始めが遅くなる事は良くある事だったと記憶している。上層部の連中は、食事以外でも事ある毎に、自分の権威を見せるかのように、説教をする。「全力が・・・」、「もっとやれるはずだ・・・」とか、毎回同じような内容だが、心行の時、マラソンの時、食事の前後、寮の中と、至る所でそんな事が起こる。

我々にはそんな言葉は残らない。ストレスしか残らない。大体、教師と言っているが、ボッキチが何の教科担当教師なのかわからない。そもそも、教員免許自体持っていたのかさえ疑わしい。

ボッキチだけではない、他の上層部が授業を受け持っていた事を聞いた事がない。調べていないだけかもしれないが、持っていなかったと思われるし、誰が何の教科担当なのか、知っている人も少ないと思う。

私立の学校は、ある程度規則の自由があるので、授業を受け持つ事であったり、指導の方針はあまり教育委員会などから言われる事はないかもしれないが、閉塞感が強い日生学園では、教師が「やりたい放題」という表現が正しく思える。

新任の教師もそうだったか?と言うと、そうではない。1年生並みの努力をしていたかもしれない。しかし、教師である以上、生徒を指導する立場であるから、3年生の権力者であっても怒らないといけない時がある。ただ、相手はこんな生活を2年以上している先輩で、3年生も「入ったばかりやないか」と思うのは間違いない。この辺は微妙な空気感があるように思え、実際、私もそんな事を思った事が何回かあった。とは言っても立場が全く違うし、そこには「明確な壁」がある。

そんな教師陣の鬱陶しい、「言いがかり」的な説教や連帯責任でやらされる体罰にストレスが溜まる生徒達ではあるが、3年生はそのストレスを、教師陣と同じ方法で下級生に向ける事が出来る。

たまに、「そろそろ1年生絞めようか・・・」とどこからともなく聞こえる時がある。寮に帰る時に整列している後ろの方や、自習時間に部屋の奥にたむろしている権力者の小声・・・。

近いうちにやって来る、ストレス発散のための「理由になっていない理由」をつけた体罰に、逃げれない奴隷の1年生は、ビクビクするしかない。

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