日生学園 残酷物語 4

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日生学園「残酷物語」
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こんな高校生活があるだろうか・・・。閉ざされた山の中の学校は、暴力に次ぐ暴力、脱走に次ぐ脱走というこの世の物とは思えない生活があった。

ダウンタウン浜田雅功が「地獄」と表現した日生学園第二高校を卒業した年に私は入学した。見聞きはしていたものの、待っていたのは想像をはるかに超える、旧式軍隊さながらの生活。「懲役3年」と言われながらも、なんとか生き抜いた日生学園の3年間を振り返る。

奴隷の生活 1 身なりに気をつけろ

入学してから日に日に慣れてきてはいるものの、同時に不安が反比例して膨らんでいく。一通り生活のルールを教え込まれながらも、教育係の先輩や、同じ部屋にいるその他の先輩によって違う生活態度に合わせて行かないとならない。起床時には先輩の布団もたたみ、洗濯物が帰ってくれば先輩の衣装ケースにしまい、風呂の時には風呂準備をし、就寝時には布団を敷く。

つまり、奴隷は奴隷らしく、先輩の身の回りの世話もするのだが、その先輩の好みや性格に合わせたやり方で世話をしないと、「いつになったら覚えるんだ」と罰を受ける事になる。こればかりは先輩の性格に左右されるので、「当たり」と「外れ」の差が大きくなってしまうが、多かれ少なかれ生活上の世話をするのは事実だし、日生学園では暗黙の上での「伝統」とされている。

「世話をする」という事は、自分の時間を削る事になる。準備をするのは1年生も3年生も同じなので、自分の準備時間の中で先輩の分もする。その上で「遅い」と言われ、場合によっては体罰が始まる。

寮の風呂は大きな脱衣所と、中心に浴槽があり、周りの壁沿いに洗い場があって、街中の銭湯と同じ作りになっている。毎日階ごと順番に入浴するのだが、一部屋48人が4部屋あるので、200人近い生徒が一斉に風呂に行く。放課後のマラソンから帰ってきて、夕食に行く前までに全員済ませる必要があるので、1つの階に許された時間は20分程度。

大きいと言っても脱衣所に設置されている棚は限られているので、1年生は使えない。脱いだ服は床に置く。浴槽に3年生が先に入り、空いたスペースに2年が入る。1年生は洗い場で体を洗い、すぐに出る。

そう、1年生は浴槽に入ってはいけない。これは初日に言われていた事で、脱いだ服は床に置くのも言われた事だ。そして、「先輩より後に出てはいけない」。当然と言えば当然で、風呂から帰ってきた先輩の濡れたタオルを干し、衣類を洗濯するのとしないのを分ける作業が待っているのだ。奴隷にゆっくりしている時間はない。

洗濯物は寮と離れた場所に、洗濯だけを行っている場所があり、週に2回そこまで持って行って洗ってもらう。大人一人が楽々入ってしまうぐらいのカゴが各部屋に1つ置いてあり、そのカゴに洗濯物を入れていくのだが、洗濯機の容量の関係から、溢れるほど入れてはいけない事になっている。

上級生から入れていき、「ここまで」というラインを超えたら次回、もしくは自分で洗面所で洗う。となると、1年生は洗濯物を出せない事が多くなり、汚れた衣類を溜めるか、先輩に許可を取り、夜な夜な洗面所で手洗いする事になる。

最終的に、風呂での要領が悪く、時間がかかってしまうから、と言う理由で風呂に行かなくなる奴、風呂の時間を自分の衣類を洗う時間に充てる奴、ただでさえ狭い自分のロッカーに汚れた衣類を溜め込み、収拾がつかなくなっている奴。そういう1年生が多発してくる。

ただでさえ暇なく動き回る生活に、汗をかく心行やマラソン、新陳代謝が激しい年齢。それでいて風呂に入らなければ悪臭を放つ奴も出てきて、先輩に「臭い」と殴られる。ロッカーから悪臭がして殴られる。溜め込んだ衣類でどれが洗濯済みかわからなくなり、何日も前に押し込んだ汚れた衣類を着て、悪臭を振りまき殴られる。これが「成れの果て」であり、奴隷の中でも「要領の悪い奴隷」となってしまう。

普段は何とかクリア出来ていても、いつ自分がこんな状態になるかわからないのが日生学園である。私は風呂は毎日入らず、その時間に洗面所で洗濯をし、ついでに体を濡れタオルで拭いて、ロッカーには芳香剤を置いていた。しかし、今はまだ春先だ。これから夏に近くなるにつれ、こんな毎日で乗り越えられるのか、不安ばかりで気が気でなかった。

この当時の日生学園は、年に何人も視察目的の訪問者が来ていて、寮の中まで来る場合もあったので、身だしなみはちゃんとしてなければならないが、実際は、1年生にとって衛生環境が良いと言える状態ではなかった。これが奴隷の生活の一部である。

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