日生学園 残酷物語 10

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日生学園「残酷物語」
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こんな高校生活があるだろうか・・・。閉ざされた山の中の学校は、暴力に次ぐ暴力、脱走に次ぐ脱走というこの世の物とは思えない生活があった。

ダウンタウン浜田雅功が「地獄」と表現した日生学園第二高校を卒業した年に私は入学した。見聞きはしていたものの、待っていたのは想像をはるかに超える、旧式軍隊さながらの生活。「懲役3年」と言われながらも、なんとか生き抜いた日生学園の3年間を振り返る。

日生の冬は・・・

日生学園は山の中にある。これは第三まである3つの高校、全て例外はない。第一と第二は三重県。第三は兵庫県にある。位置的に日本海側ではないので、雪も降る事も少なく、標高も1000メートルとかではない。でも、山の中なのでそれなりに気温も下がり、日生語の「下界」よりは3度から5度ぐらい差があるかもしれない。

そんな日生学園の冬は厳しい。ただでさえ朝早く起きるし、道場まで走っていくし、以前も書いたが、時には外でずっと待たされる。すぐに汗をかく事を前提に、薄着のままなので、正気の沙汰とは思えない。

いくら高校生と言っても、若いと言われても、冬に薄着で外でじっと待つ事は身体にかかる負担は大きい。風邪を引いて当然な事をされていても、熱が40度を超えるぐらいでないと、休ませてくれないので、意地でも風邪を引いて熱を出す事は避けなければならない。

どっちを取るにしても、「つらい」のだ。我慢するしか道は残されていない。

さらに追い打ちを掛ける事がたまにある。「水垢離」という異常な行動だ。何故、どうして始まったのか、あまり記憶がないが、1年生の時、突然始まった。早い話、「気合を入れる」という事だったと思うが、何のために気合を入れたか?は覚えていない。

日生学園は、あらゆる事が「旧式軍隊」、或いは「宗教的」な方向に向いているので、発想もそちらの方になる傾向がある。古くから伝わる、「わかりやすい」やり方の方がシンプルだから。と言うのもあるかもしれない。

起床して点呼の後、心行に向かう前に「水垢離に行くぞ!」となる。前の日の晩あ、前もってそんな話があるので、わかってはいても前向きになんてなれない。我々は「修行僧」ではない。

それでも「絶対服従」の1年生はやらざるを得ない。そして、気合なんて入らない。おそらく、「水垢離」のような事は、「自分から進んで、自分のために行う」もので、誰かに言われて、仕方なく始めるものではない。

一応、水を被る前は気合を入れる。いや、「気合い」というか、「体に力を入れる」という方が正しいかもしれない。そうでもしないと、「心臓発作」を起こしそうになる。

ただ、一つだけ「いい事?」もあって、直後から数分間は寒さに震えるだけだが、次第に体がポカポカしてくる。体温が上昇してくるからだが、ちょうど、心行に行くために外に出たぐらいなので、いくらか寒さを軽減できる。運が良ければ、そのまま心行に突入して、寒さを感じないまま、また寮に戻る事が出来るが、道場前で待機時間が長い時は、みるみる体温が下がって、いつも以上に寒さを感じてしまう。

一度、理由は覚えていないが、2年生の時だったと思うが、朝1番でクラスのヤツが「ツボを踏んだ」事があった。その時は寮監ではなく、3年生を怒らせた。クラスはほとんど同じ階にいるので、我々の階の2年生は、心行前なのに上半身裸でマラソンをさせられ、その上に、3年生がホースで水をかけまくってくる。

後にも先にもこんな事は1度きりだったが、本当に死にそうだった。この時の光景は今でも覚えている。真っ暗の朝方、裸の集団がマラソンしている光景は、忘れられない。

「冬だからこそ、やりたくない事」をするのが日生学園なのである。この当時は、「冬だからこそやる」事で、「気合い」だったり、「全力で挑む姿勢」を見せる事に優位性を見出していた。現在では体罰以外何物でもない事を「正義」としていた日生学園なのである。

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