こんな高校生活があるだろうか・・・。閉ざされた山の中の学校は、暴力に次ぐ暴力、脱走に次ぐ脱走というこの世の物とは思えない生活があった。
ダウンタウン浜田雅功が「地獄」と表現した日生学園第二高校を卒業した年に私は入学した。見聞きはしていたものの、待っていたのは想像をはるかに超える、旧式軍隊さながらの生活。「懲役3年」と言われながらも、なんとか生き抜いた日生学園の3年間を振り返る。
声がなくなる・・・
日生学園は「全力」が第一である。いや、第二も第三も「全力」。起きてから寝るまで全力でないとならない。体験入学の際、夕食後に生徒らが校歌を歌い、それを見て圧倒されたと書いたが、それは「歌い方」の話である。精一杯の声を張り上げて歌うので、体が自然と激しく動く。拳を握って振り下ろす動きが多いのだが、全力の声を出そうと思ったらこうなるのだろうか?そして、怒鳴るように歌うので、何を言っているのかわからない。そんなものを見れば圧倒されるのも無理はないが、入学すれば有無を言わさずやらされる。
日生学園には校歌が10近く、いやそれ以上あったかもしれない。建学の歌、寮歌、応援歌、銅像除幕式の歌・・・そんな種類の歌があり、3日以内に全部覚えろと言われる。もちろん全力で。
これはどの寮も同じようで、朝食後、時々夕食後に1曲ぐらい歌うのが日常生活なのに、入学式後1週間ぐらいは朝食後、夕食後に何曲もメドレーされる。歌詞を覚えているか、先輩が見ている・・・全力で歌っているか、教師が見ている・・・。そんな中で歌わされる校歌を覚えないわけがない。卒業して数十年経つ今でこそ、2、3曲ぐらいしか覚えていないが、フラッシュバックのように時々頭の中を校歌が流れていた時代もあった。
いきなりそんな状態にすれば、喉がもたないのが普通だ。実は歌だけでなく、返事一つでも精一杯の声を出さないといけない。
「〇〇をするように、いいですか」と言われれば「ハイ」。「声が小さい!いいですか」、「ハイ」の繰り返し。集団移動での解散は必ず「ありがとうございました」と言うが、これも「声が小さい」と言われる。まるで漫才のボケとツッコミみたいな繰り返し。そしてすぐ声が潰れる。
日生学園の紹介映像を見た事がある人ならば、リーダー的な人が何やら指示というか命令しているような場面を見た事があると思うが、ほとんどの人は「何を言っているのかわからない」と言う。日生学園用語を使っているのもそうかもしれないが、声がガラガラに掠れてしまっているのも理由である。
こうやって声を潰し、声が変わり、本来の自分の声はなくなる。これも「日生あるある」だと思うが、朝から寝るまでこの連続はきついものだった。特に声が出なくなった時、それでも「声が小さい」と言われるのだ。声は出ないわ喉は痛いわの状態に追い打ちをかける。
全力心行の時も登下校の集団移動の時もマラソンの時も、掛け声は「ワッショイ」だが、床磨きしながら、走りながら精一杯声を出す事は本当に苦しい。「俺一人声出さなくてもバレないかも・・・」は通用しない。隣にいるのだ、見ているのだ。2年生が、3年生が・・・。
声を全力で出す事。ちょっとの事かもしれないが、「無理」や「ごまかし」が効かないのが日生学園なのである。
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