日生学園 残酷物語 1

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日生学園「残酷物語」
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こんな高校生活があるだろうか・・・。閉ざされた山の中の学校は、暴力に次ぐ暴力、脱走に次ぐ脱走というこの世の物とは思えない生活があった。

ダウンタウン浜田雅功が「地獄」と表現した日生学園第二高校を卒業した年に私は入学した。見聞きはしていたものの、待っていたのは想像をはるかに超える、旧式軍隊さながらの生活。「懲役3年」と言われながらも、なんとか生き抜いた日生学園の3年間を振り返る。

入学式直後から豹変する人は・・・

私が日生学園第二高校に入学したのは1982年4月。私には1歳上に兄がいて、その兄も日生学園第二高校の生徒だった。中学時代からは想像出来ないくらいの変貌ぶりに、尊敬の念すら覚えた。どこの高校にも受かりそうにないくらい勉強しなかった私は、親の「兄弟で日生学園に行って欲しい」という希望に、何も考えず「それもいいかな・・・」と思った。そして、中学3年生の夏に体験入学をすべく、父親と日生学園に行ったのであった。

体験入学は字のごとく、日生学園の生活を体験する事なのだが、これに入試がもれなく付いてくる。夕方前に説明があり、夕食から在校生と合流する。食事でどんな物が出たかは覚えていない。ただ、食後に歌う校歌に圧倒され、そのまま引っ張られるように一晩過ごす寮に連れていかれた。優しく先輩方に生活や学校の事を聞いて、翌朝の心行も共に行い、午前中に入試を受ける。入試は中学生基礎みたいな問題が出ただけで終わり、面接を経て終了となる。面接と言っても今の中学生活はどうか?とか、将来はどうしたい?とか聞かれたと思う。そして最後に「ここでやっていけるか?」と聞かれ、「多分・・・」と答えたのだろう。もう数十年前の事に加え、入学したのだからそう言ったと思う。

家に帰って暫くの後、合格通知が来たが、あの体験入学を振り返ってみて、「厳しい生活ではあるが、なんとか出来るかな?」と思った。そこには兄の「本当はあんなのではない」という言葉も忘れ去られていたし、これから秋、冬へと受験シーズンが始まる中、既に合格出来ていた事と「何かあったら兄が助けてくれるだろう」という考えがあっての事だった。あと、家庭の事情なので書かないが、「家にいたくなかった」という理由が大きかった。

そんなこんなで迎えた入学式だったが、式終了後、これから生活する寮に向かう。私は「天心寮」だった。校舎や食堂がある学校棟から一番遠く、坂道を登って行かないといけない。寮に入って1時間も経たないうちに上記の判断を後悔する事になる。全てが新しい生活用品を片付け終わる間もなく、部屋の3年生に呼ばれ、衝撃的な事を言われた。

「よう聞け、お前らはお客さんとちゃうからな。今からここのやり方に従ってもらうで」、「覚えとけ、3年は天皇や、2年は平民、お前ら1年は奴隷じゃ!!」、「わかったか?」、「わかったかって聞いてんねん!!答えろや!!」、「ハイ!やろ!!」。

体験入学の時は違う寮だったし、教えてくれた人もこの人達ではない・・・しかし、これは全ての寮、全ての人がこうなのだ。これがこの学校の実態だと理解するのに10秒もかからなかった。般若のような顔した3年生。当たり前のような顔をして、知らんふりする2年生。地獄の扉を開けた瞬間だった。

私の隣は3年生。兵庫県出身だと言った。それでもこの先輩はとても優しかった。いろんな事を教えてくれた。ただ、2回目は無い。

個人で見ると優しい先輩は多い。普段、何もない時は雑談に応じてくれるし、いろんな話もする。だが、ダラダラする、気合が足りない、声が小さい等、隙があれば攻めて来るのも先輩だ。寮生活をする上で、連帯責任を取らせるのが日生学園のやり方である。「1年がだらしない」となれば、2年が3年が教師に「お前らの教育が・・・」と怒られ、心行をさせられ、マラソンをさせられ、殴られる。となれば、その2年、3年の矛先は最終的に1年生に向かう。では、そういう事を見ている教師は?と言うと、「当然やろ」っていう顔をしている。

入学して数日経って何となくわかってきた事。それは「学校カースト」が存在していて、1年生は「一番下」という事。一番上は3年生ではなく、教師。それも、教頭ぐらいの人達。

令和になった今でも存在する「クラスカースト」。しかし、日生学園は「クラス」ではない、「学校」なのだ。詳しくは知らないが、今は「陽キャ」、「陰キャ」といった部分から、何となくの力関係で「カースト」のようになっているのではないか?(違っていたり、表現が悪かったらすみません)しかし日生学園は、「年齢順」、「学校内での権力順」、「寮内での権力順」、「部屋での権力順」となっていたと思う。さらに、「クラスカースト」もクラスによって、はっきりしている、いないの差はあるが、存在していた。

とは言ってもクラスにいるのは1日の6分の1程度、それ以外は2年や3年生と一緒なのだ。一挙手一投足に睨みを利かせる上級生との生活。まさに「残酷物語」が入学式の数時間後に始まってしまった。

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